我らに重き使命あり

社会に出る前の貴重な3年間を過ごした高校の校訓は
・我らに燃ゆる希望(のぞみ)あり
・我らに高き矜持(ほこり)あり
・我らに重き使命あり
この三つでした。
その中でもとりわけ…

我らに重き使命あり

という言葉に身が引き締まります。
この言葉は、私たちにとっての宝であると思っています。

 

そしてこれからの教育には『使命感』を育む必要があると強く感じます。
人は誰かのために生きる生物です。
他のために生きることによって成熟し、自分のためだけに生きるならば、遅かれ早かれいつか必ず虚無に襲われます。

 

『使命感』があるからこそ、良心のもとに善悪を判断し、悪に染まりそうになる(あるいは悪に手を染めてしまった)行為を恥じ、自身を律する心が育つのではないでしょうか。
『使命感』のなかにこそ、誠実や勤勉や和合の精神が芽生えるのではないでしょうか。

 

私は、個人ひとりひとりの精神性が結集してその国を形作るものであると信じています。
そしてその精神性を養うものこそが教育であると思います。
数式や文法という知識を詰め込むことが教育ではありません。
知識は火と同じただの道具です。
その道具を使う人間の精神を正しく育てなければ元も子もないのです。

 

ですから、初期教育の『道徳』の時間を削ってしまったことには首をかしげてしまいますし、悪意すら感じます。
ですが嘆いたり憤っている時間はありません。
たった今、私たちにできることは何かを考えるべきです。
それは子供たちに人としてあるべき姿を大人たちが見せることにほかなりません。

 

『使命感』を幼いころから育む素地がこの国にはまだあります。
少しの焦燥を感じますが、まだ間に合う、大丈夫。
正しく伝えていくこと、正しく育てていくことが私たちの使命です。