陰翳礼賛

image64

『インサイドヘッド』というアニメ映画を観ました。
ヨロコビやカナシミ、ビビリ・ムカツキ・イカリっていう人間の感情を擬人化させた存在が登場して、人の脳がどんな働きをしているかってことをとてもわかりやすく、ユーモラスなストーリーに仕立てています。
だけど私にとってはただもう、ヨロコビとカナシミのお話でした。
とにかく明るいヨロコビは陰気でネガティブなカナシミを遠ざけ、必死に喜びの記憶で埋め尽くそうとするのだけど…。
ヨロコビは気付くのです。
カナシミがそっと寄り添うことで、悲しみの記憶もまた輝くということに。

 

いや~いい映画でした。
それではまた! って言いそうになりましたが続きますよ。

 

昔から、闇を感じるもの、奥に隠されたものに心惹かれる傾向がある。
陰にはのぞきこまずにはいられない強い力がある。
そのせいか、出会う人の傷や喪失や悲しみや怒りをつい無意識に嗅ぎつけてしまう。
感じることはできても私にはそれをどうすることもできないし、どうにかできるとも思っていないのだけど。

 

できることならば、そういう一般的には負とされる感情を否定することなく、別の新しい何かに変換する手助けができたならどんなに救われるだろう。
星が暗闇の中でこそ輝くように。
必要なのは時間なのかもしれないし、距離なのかもしれない。
あるいは他者からの赦しなのかもしれない。
でもやっぱりどうにもならなくて、打ちのめされることもあるでしょう。
それでも。

 

庭を私の心を表現する手段と考えるならば、植物の力を最大限に借りて癒しの空間を創りあげたい。
昼と夜なら夜。
陰と陽なら陰。
整然と作りこまれた美しさではなくて奥に潜っていくような。
私の理想の庭とは、そういう庭なのです。
伝わっていますか?

 

得難き友

image60

以前友人の1人に、私が作りたい理想の庭というものを語ったことがある。
すると友人はこう言った。

 

陰翳礼賛だね  と。

 

自分の感性という、薄ぼんやりとした・掴みどころのない・曖昧なもの を、かなり的確に感じ取ってくれる友人の存在って本当に得難いものだと思う。

 

そういう友人が、時には自分の進むべき方向を指し示してくれることがある。
私の知らない私を言語化されることで、迷いの霧が晴れることもある。

 

かつて私は自分のことにしか興味がない、人を寄せ付けない、暗い森に住む隠者のような、精神的引きこもりの人間だった。
おそるおそるその森から出てみたら、近くなったり遠くなったりしながらも一緒に同じ方向に向かって歩く仲間ができた。
しかもやたら干渉するでもなく、突き放すわけでもなく、時には暗い森に戻りたい私を認めてそっとしておいてくれる。

 

なんなの?
この心地よさ。
って感じ。
わかってくれる?

 

なんて私は幸運なんだ!
だけど幸運の一言で済ませてしまうのはあまりにも自分本位かな。
だから私も仲間にとって心地よい空間、心地よい関係を提供できる存在でありたいと強く願う。
私のことを嫌いな人間もきっといるだろうけれど、もう気にしない。
心地よい関係を築ける人たちとのコミュニティを最優先していこうと思う。

 

で、どんなのが理想の庭なのかって?
ひっぱるつもりも、こんなネタで引っ張れるとも思っていないのだけど…それは次回に持ち越しとなりそうです。
読んでくれてありがとう。
それじゃ。

眼差しという名の

image63

植物のお店をやると決意して、周りに伝えるようになったら、よく植物についての質問を受けるようになりました。
ダントツに多いのがコレ。

 

買ってきてもすぐ枯らしちゃう。
水もあんまりいらない多肉植物でも枯れちゃう。
なんで?って。

 

多肉植物といっても、いろんな科に分かれていて、しかも夏型や冬型があってそれぞれに水やりの仕方や日当たりの好みなんかが違うんですね。
なんか難しそうだなあと思いました?

 

水を与えすぎると枯れる。
水が足りなければもちろん枯れる。
その加減は本当に難しいです。

 

植物は生きているし呼吸も排泄もするのに枯れるとき『苦しい』って言いません。
摘まれるとき『痛い』って言いません。
ただただ人の心を癒すのみです。

 

お花屋さんやインテリアショップで『素敵』とその植物を手に取った時の気持ちを思い出してくださいね。
そのワクワクする気持ちが植物にとって秘密の栄養素です。

 

ほら、よく言うでしょう。
『美しいと思う、あなたのその心が美しい』って。
どんなに忙しくても、どんなに腹立たしいときでも植物を見て「美しいな」と感じる瞬間、あなたは癒されているんです。
そのために植物は存在すると私は思っています。

 

じゃあ我々は植物のために何ができるのかって?

 

見つめてください。
出来る限り毎日毎日。
そうすると水を欲しているのか、光を欲しているのか気づくようになります。
もし植物が枯れてしまっても、そんなに気にしなくていい。

 

だけど気が向いたときだけ水をやったり、折って挿す肥料を適当につっこんどきゃいいってのは愛じゃありませんよ。
そういう時はね、自分が疲れているんです。
だから自分をまず癒しましょう。
ゆっくり寝て、食べて、笑ったり怒ったりしてペースを取り戻したら、また植物と向き合ってさらに癒されてください。

 

与えることが愛じゃない。
見つめることが愛なんだ。

 

SNSトラップに気をつけろ

image57

お元気ですか?
鳥になりたいとかつぶやいてませんか?(それ私)

医療メディエーター(医療対話推進者)という、一般の方にとっては『何それ?』な感じの資格があってですね。

医療メディエーター – Wikipedia


まず徹底的に固定観念を捨てて俯瞰することを学びます。
そんでもって激しい感情の奥にある『本当に伝えたいこと』が何なのかを探る。

他人様のFacebookやブログを見ていると、まるで自分のことを責められているような気持ちになることがありますね。
かと思えば、首をぶんぶんと縦に振るほど激しく同意したいことも。
まあ、ほぼ間違いなく自分に対して書かれたものではないんですけどね。

で、そこに何故かむきになって反論したり自己弁護のようなコメントがついてて場合によっては炎上していたり。
はたまた同意を表明するために聞いてないよ~って感じの自分の体験談を長々と披露していたり。
そういうの、ちょっと見苦しい。(毒)

でもね、それって投稿者があなたを責めているのではなく、あなた自身があなたを責めているんですよね。
同意に見せかけてはいるけれど、あなたが認められたがっているんですよね。
なので対峙すべきは自分自身の意識(心)なわけです。

そのコメントは誰に対するいいわけですか。
そのコメントは誰に対する反論ですか。
承認欲求を見ず知らずの他人にぶつけても意味がないと思いませんか。
本当のイシュー(争点)はどこにあると思いますか?

まあSNSの特性上、起こるべくして起こる問題なんだろうけど。
あなたと私と、第3の視点から物事を眺めるクセをつけたいと思います。
以前、何の役に立つのかと思いながら取った資格だけど、今日役に立ったわ。

あー今回は毒づくばっかりで植物のことに全く触れなかったから、写真だけは庭の花にしとこう。
ささくれだった心を癒してもらおう。

Mareってどんな?

image66

新年明けましたね。
もうおめでとうございますな気分ではないと思いますが、おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さてさて、今年はついに植物屋Mare(マーレ)を稼働させてしまおうと目論んでいます。
友人やこのブログを読んでくださる方たちから、「いったいどんな店なの?」等のちょいちょい尋ねられる質問に、ワタクシがいちいち暑苦しく答えてまいりたいと思います。

まずMare(マーレ)の由来ですね。
Mareとはラテン語で(イタリア語でも)『海』を表す言葉です。
店のテーマが『植物の海』であること。
それから私の名前は洋子でして、大好きな父が海にちなんでつけてくれたこと。
この二つの理由からつけた店名です。

そしてまだ実店舗はありません。
そのうえ本業は今のところナースですので、イベントで出店したり、一日単位で借りれるブース式の貸店舗で不定期に販売しようかと考えています。
もちろん実店舗になるような物件も捜索中。

で、何を扱うのか?
植物屋ですので、花苗・樹苗・多肉・インドアグリーン等、そして寄せ植えですね。
寄せ植えに関しては、メンテナンスも承ることができると思います。
これは追々にですが、鉢やフラワーベース等のガーデニング雑貨や、種・球根なんかも取り扱っていけたらと思います。

どんなお店にしたいのか?
これは次回以降のブログでがっつり取り組もうと思っているテーマになります。
何度も言いますが店のテーマが『植物の海』です。
植物が主役の空間になります。
私が目指す庭づくりも同じです。
これは単に好みの問題ですが、作りこまれた庭よりも、植物が伸びたいように伸び、咲きたいように咲く、それでいて調和のとれた庭にしたい。

…伝わりにくいですかね?

そもそもどうしてナースなのに植物屋をやろうと思ったのか?
その答えはすべてここに。

mareのこころ