心深き人

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金木犀が咲き始めました。
秋の匂いがします。

 

実はお隣さんのお庭に立派な金木犀があって、ちょうど我が家のキッチンの窓から見える位置にあるのです。毎朝キッチンに立つ瞬間の幸福感がものすごい。
ガーデニングには借景という考え方があるけども、これは借薫とでもいうのかしら…。

 

『秋を愛する人は心深き人』
確か昔、こんな歌がありましたよね。そして『愛を語るハイネのような僕の恋人』と続きます。
幼いころはぼんやりとではあるけれど、『春を愛する人』のほうが『僕の恋人』に相応しいような気がしていたんです。
だって~『スミレの花のような心清き人』ですよ? 砂糖菓子を連想させる、ふわふわとしたイメージじゃないですか。
きっと今の私たち世代の大人は、人を好きになどならないと考えていたんですね。
ああ、若いって傲慢だな~

 

でも実際に歳を重ねるごとに秋が恋の季節なんだと腑に落ちるようになってきた。
秋は人恋しくなる。
秋は詩を読みたくなる。
確かにそうだ、そう思う。

 

谷川俊太郎は『無垢』
高村光太郎は『官能的』
中原中也は『ノスタルジア』
個人的な印象を一言で表すとこんなところでしょうか。
この時期のおひとり様には中原中也は寂しすぎて死にたくなるから(ウソです)、高村光太郎を読まれることをおすすめします。(余談ですが、おそろしい程時は過ぎて、あの銀色夏生さんもすっかり大物詩人になりました…)

 

秋ですね。
さあ、心を深くしてブラッシュアップに励みましょうぞ。

LOVE方言♡

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方言にはぬくもりがある。

 

看護学生時代、患者さんに接するときは言葉遣いを正しくと教えられてきましたが、経験上、時と場合によっては方言を使って接することのほうが効果的でした。

 

今年7月までの4年半の間、兵庫県の西側で過ごしたのですが。
方言フェチの私がいちばん好きだなあと思った西播磨の言葉は『なんでやねん』でも『どないやねん』でもありません。

 

大丈夫ですか?
どこか痛いところはありますか?
と、たずねた時に『大丈夫です』や『平気です』の代わりに返ってくる

『楽です~』

という言葉が好きでした。

 

友人と出かける際、待ち合わせの場所や時間を確認したりしますよね?
場所はここでいい?
○○時に来れる?
そうたずねた時にも、もちろん満面の笑みで

うん、楽~』って返ってくる。

そのたびにこちらも「そっか~楽なんや~良かった~♡」と、ほんわかした気持ちになってました。

 

方言は地方の大きな魅力のひとつです。
だから讃岐弁も大事に使いたいと思う。
足を運んでくれる人たちにじんわりと温かい気持ちになってもらいたい。
そしてここに根付いた言葉を好きになってもらうことができたら、その人はもう内側の人間なのである。

 

方言丸出しの小中学生やご老人なんてもうね、萌えるよね♡(あれ? 私だけ?)

 

 

優しくそっと包み込むように

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私の手。(あまりのひどさに加工を施してあります…)
なんの装飾もない爪も伸ばしていない。
歳を重ねてハリを失いつつある、ただ小さくて丸く、ほんの少しだけ他の人よりも体温が高い、この手。

 

そんな私の手を患者さんたちが愛してくれます。

「ほんま温い手やなあ~」

「きれいな手しとるなあ~」

そう言いながら撫でさすっていただいたことも一度や二度ではありません。

 

お世辞にも『きれいな』という形容詞が似合う手ではありませんが、そう言ってくださいます。
だけども、そんな風に手を撫でながら私をねぎらう患者さんの手のほうが、もっと美しいと感じる。

 

人の手には不思議な力があって、感情を伝えることができます。
例えば人と手をつなぐとき。
その仕草や微妙な力加減で相手の気持ちがわかったりしませんか?
あ、少し苛立っている…とか、気を使っているみたい…とか。
あるいは心の底からのいたわりが伝わってきて、泣きそうになったり。

そしてしっとりと汗ばんだ幼子の手。
長年大地と向き合ってきた農業を生業とする人たちの手。
若者の力強い手、年月が刻まれた老人の手。
どんな人の手にもそれぞれの美しさがあるのです。

 

おや? もしかして今、大切な人の手を握りたくなったんじゃありませんか?

明日はきっと今日よりも

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ごめん、今は戦えない。
スランプの時はもう、じたばたせずに手足を投げ出し、誰に宛てるわけでもなく降参してしまうに限ります。だけど決して自暴自棄になるわけじゃない。

 

心の糸が切れてしまう時ってありますね。
ならば、と毎日を無心に丁寧に淡々とこなす。
積み木を積んでいくような日常にしばらく集中するのがよいと思います。
いままで無駄に歳食ってたわけじゃないでしょう?(yes)
時間という強力な味方がついていること、とっくに気がついているでしょう?(yes!)
なので心配はいりません。

 

きのうの夜、高松の街を歩いていて。
交差点の手前で祭りのあとの獅子舞使いの一行とぱたりと出会い、まるで何年来の親友同士のように手を振って別れた。
異国の人達の前で奉納の舞を舞ったのだと言った。
皆、陽気で少し疲れていていい顔をしていた。
何故だかわからないけど、心が晴れた。

 

きっと彼らが小脇に抱えた獅子たちが、その立派な歯で私の胸の内のもやもやをバリバリと音を立てて食べてしまったのだろう。

 

そして満天の星空に。
かの人の幸せを祈ることができたから、明日もきっと私は大丈夫だと思う。

 

 

昔の光

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夜はちゃんと眠れていますか?
眠れないなら少し、気の遠くなる話をしましょうか。

 

永遠って言葉にするのは簡単だけど、定義を考えたことなどなく。
だけど昔読んだ小説の中にとても印象深い一節がありました。

 

例えば永遠について。中国の言い伝えでは千年に一度天女が舞い下りてきて三千畳敷きの岩を桃色の絹の羽衣で一掃きする。そして、その巨大な岩が擦り切れてなくなるまでの時間を永遠と言う。
大崎善生『パイロットフィッシュ』より

 

ね?
永遠って永遠じゃないんですね。

 

それから、うんと寒くなったら外に出て、星の光を眺めましょうか。
冬の大三角くらいならなんとか見つけられるんじゃないかな。
アンドロメダ座大星雲は肉眼で見ることのできる最も遠い光なんだって。(230万年前)

 

ありえないほどの時間の感覚に想いを馳せていると、すべてが奇跡の連続なんだなあと思うのです。あなたという存在がなければ、今私はここにいなかったかもしれない。

 

だからもし今あなたが眠れなくて、他愛もない会話を欲しているならば、できる限り応えられる私でありたい。
いたずら電話はノーサンキューですが。