弱さって凶器

弱さを盾に攻撃してくる人がいる。

「あなたは強いから、弱い人間の気持ちがわからない」とか。
「いつも笑ってるけど、悩みなんてないでしょ」とか。
「君は一人でも生きていけるよね」とか。
「自分たちの病気のおかげでお前の給料が発生しているんだ」とか。

どうかそういう心無い言葉に傷つかないで欲しい。
実は強い人ほど繊細な精神を持っていて、自分を弱者に位置づけようとする人ほど精神が図太いっていうこの不思議。

「気持ちを他人に理解してもらえるはずがないのは当たり前」
「よく笑う人はよく泣いた人」
「一人でも生きていけるとか、その通りだけど余計なお世話!」(いきなり感情的だなおい)
「私たちが必死で働いて税金を払っているからこそ、あなたがそれっぽっちの医療費で治療を受けられているんですけど何か問題でも?」

ったくバカ言っちゃいけません。
いつまでたっても甘えん坊で許してもらえるのは間寛平だけなんです。

image9

あなたにアイデンティティがないのは何故か

自意識過剰

って言葉にマイナスイメージ持っていませんか?
そのイメージ思い切って捨てちゃいましょう。
だってね、生まれた時からつきあってきた心と身体ですよ。
意識しないなんてありえないでしょう。

他人の目を気にするのは、本当の自意識じゃない。
10代の頃のいわゆる『自意識過剰』とはわけが違う。
誰もそんなにあなたのことなんて気にしてないから、ねっ?
ってあの頃の自分に伝えてやりたいこの気持ち。
(でもあの頃の万能感は宝物ですけどね)
ほら、不惑にもなると、最低限の清潔感とマナーさえあれば、外見など大した問題ではなくなって来るじゃないですか。
だけど内面はぐっとフォーカスされる。
その視線に耐えられるだけの自分がありますか?

メッキなんてそのうちはがれる。
歳をとれば、男女の区別さえ曖昧になって、一見しておじいちゃんなのかおばあちゃんなのかわからないことだってある。(おい)
それよりも、もっと自分の本能と心に耳を傾ければいい。
自分は何が好きで
自分は何が許せなくて
自分は何が恥ずかしくて
自分は何に喜びを見いだすのか。

答えはすべて自分の中にある。

image8

世界はハッピーとラッキーで出来ている…わけない

SNS上で意識高い系の人々をよく見ます。
みんなすごく素敵な笑顔で人生楽しんでますよー的な。
この幸せを他の人にも分けてあげたい的な。
それはもう虹色のオーラがばんばん伝わってきます…

いいんです!

いいんですよ、もちろん。
私もそのハッピーな気分に共感を持てる素直な人間でありたいです。
だけども感じるどうしようもないこの違和感。
あ、完全にこちらの内面の問題ですのでお気になさらず。(汗)

 

人間にはね、負の感情でしか前に進めない時ってのが絶対にあるの。

 

と、ムーミン谷のミイのようなシニカルな存在がハートの中に巣を作って住んでいて、時々私の理性のドアをこじ開け、でっかく真理をつぶやくので困っている。

世界にはポジティブな人もネガティブな人もニュートラルな人もいて、絶妙なバランスで成り立っている。ネガティブ思考もそれは個性であって、徹底的に排除する必要はないんじゃないかなあ。要するに、ポジティブだから好かれる、ネガティブだから嫌われるっていうんじゃなくて、人への優しさがあるかどうかだと思うのね。

そういうポジティブシンキング万歳! な風潮の中にあって、自分の中のとても他人にはさらけ出せない負の部分を持っている人を見つけると、人間の深みってものを垣間見た気がして、なんだか宝石を見つけた時のようにドキドキするんだなあ。

image7

たった一人のあなたに

あなたをいらっとさせることを承知で言おう。

私には伝える力が備わっていると本気で思っています。
いつもいつも、「私が書かずに誰が書く?」という気持ちで書いている。
そして私が吐く言葉は常に自分や自分の周りの誰かに向けられています。
たった一人のあなたに伝わればいいと思って書いている。
上手には書けないけれど。
誤解されることもあるけれど。

まだ若かった、こっぱずかしい感受性が世界のすべてだった頃。
心のどこかで『満たされない自分』でいないと書けないと思っていたような気がする。
だけどあれから20年以上経った今も、伝えたい思いは枯れずにいます。
では今満たされていないのかと問えば、そうではないんですよね。
大切にしたい人たちがいて、大切に思われていることも知っている。(幸せだなぁ)

自分がある意味、常識という概念が希薄な存在であるということは薄々感じていて、私が私を慰めるように紡ぐ言葉で、他の誰かが救われれば良いなと淡い期待を抱いています。

自分を生きるということは他を生かす。

こんな自分勝手で自己中心的な私につきあってくださってありがとう。

image6

衝撃の真実~虫の知らせ編~

さて、来月末には香川にお引越しの私。
決断力がすこぶる高くてですね。
その理由は自分の直感を信じているからだと思うんです。

部屋を決める時もほぼ迷いませんでした。
流れに乗っている時って、とんとん拍子に事が運んでいく気がします。
逆になんか気が乗らないな~って時は余計な邪魔が入ったりね。

次に住むことになる部屋を見た時のこと。
まあまず、次の職場からめっちゃ近くて、希望の部屋数で、しかも庭が広いとくれば「何? この運命の出会い!」って思いますよね。
しかも高松とはいえかなり郊外(田舎)なため、物件数自体が少ないのに…。
それはもうワクワクしながら物件に入りました。

その庭に降りた瞬間。
見たことのない蝶々がひらひらと3匹飛んできて私の周りをくるりと一周して行きました。
もうね、「ここにしちゃいなよ~決めちゃいなよ~」
って言われているようにしか思えず、ほぼ即決。

後であの蝶々ってなんていう種類なのかと気になって色々調べてみたんです。
その結果、やつらは…

 

 

 でした。

以上です!

image5

隠そうとしてもムダ

非常に面倒くさい人というのが存在していてですね。
その人は自分が弱いことを知っているのか、あるいはまったく気づいていないのか、なんだかわかんないけど、とにかく弱っている自分を殊更に隠そうとする。

あの…見えてますから。
全然隠せてませんから。
それともあれなの? わざとちょっとだけ見えるようにしてんの?
ねえ、もしかしてこれはなんかの罠なのーーー?

って気持ちになる。
で、隠したいのならもうそれ以上聞かない私がいるんだけども。

だけどもだけど、ですよ。

もうね、「どうしたの?」って聞かれた時点でアウトなの。
何かが起こっている(もしくは悩んでいる)であろうことも
それがあなたにとってしんどい状況であることも
「だいじょぶだいじょぶー」とか言って全然大丈夫じゃないことも

みーんなバレちゃってますから。

んでもってこっちは、どうでもいい人に「どうしたの?」なんて聞いたりしないんだよ。
あなたの感情の吐露も、やらかしちゃった罪の懺悔も、青臭い恥じらいも。
全部ひっくるめて受け止めてみせるって思ってるから。

面倒くさいからさ、いっそ潔くあきらめて楽になっちゃいなよ。

って思うんだけど、それでも言えないあなたの性格もわかってるから。
好きにしていいよ。

image4

人を傷つけるということ

人を傷つけたことのない人も
人から傷つけられたことのない人もいないと思います。

 

謝れば許してもらえる

なんて思ってはいけません。人間は基本的に自分勝手な生き物なので、自分が反省して心から謝れば、許してもらえる、そして解りあえると考えてしまいがちですが、それは他人の心を低く見積もり過ぎです。そして自分を許さない人を非難するのはやめよう。

 

反対にあなたも自分を傷つけた人を許さなくてもいい。

もちろん人を許すということは、自らの心を軽くする一番の手段です。
だけどまだその準備もできていないのに、自分の心に嘘をついてまで無理する必要はない。ましてや許したことを相手に伝えなくたっていい。
その罪悪感、墓場まで持って行って頂きましょう。

 

たとえ心の底から憎んで、死ねばいいと呪っていた相手が死の間際に救いを求めて許しを乞うてきたとしても、です。
あなたは神様ではないのだから。

 

やっと終わった…と安堵する自分の醜さだけを許してあげましょう。

image3

不惑のブレイクスルー

この春で不惑を迎えたワタクシ、職場の誰よりも大人げない自信あります。
あ、でも間違わないでほしいのですが…

KY: 空気 読めない 

ではなく、

AKY: あえて 空気 読まない 

ですからね、たぶん。

イライラ感満載で登場する医師に、ナースステーション内がピリピリした空気に包まれたとして…誰得? じゃないですか。

「機嫌が悪い? は? 知らねーし!!!」

と笑顔で話しかけてやります。
だって機嫌悪いのは私のせいじゃないわけだし、気を使っておどおどするなんてあほらしい。
こちとらあなたのご機嫌をうかがうために仕事してるんじゃないの。
お給料をいただくために 患者のために仕事してるの。
そうすると意外にも相手の機嫌が直っちゃったりするもんですよ。

でもまあ自分の機嫌はモロ出しらしく。(おい)
周りの人から「顔!」とダイレクトに顔に対する注意を受けた時は、「あらやだいっけない アタクシとしたことが ほほほ」と素直になおすので許してね。

みなさん、いつも注意してくれてサンキューでーす。

image2

感情の大波

私は冷たい人間です。
そう言われて育ちましたし、事実そうであると思っています。
人の甘えに敏感で、よくある感動話が嫌い。
今「あなた本当にナースですか?」という疑問の声が聞こえてきましたが、きっと空耳でしょう。

個人的な話になりますが、昨日の深夜、母親から電話がありました。
やはりこの人は私の感情を大きく揺さぶる存在であるのだなあ…と再確認した次第でございます。
家族って心強い存在である反面、やっかいなものでもあるんですね。

最近話題になっている『家族という病』という本、読まれましたか?
私は読んでいません。怖くて。(おい)
いったい家族という生命体の何が健全で何が病なのかなんて、皆目見当もつかない。
見当もつかないまま進むのもまた、先が見えなくていいですよ。

母親のキャラクターなしに今の私は存在しませんし、この人とのかかわりの中で得た成長は計り知れない。
もう、心底自分という人間が嫌になることもあれば、心の底から愛おしいと思える瞬間もある。
果たして私は誰かに対して、これほどまでに影響を与えられることがあるのか? という点においては本当に凄い人だ。

だけどそろそろ心優しい娘である私、という幻想をあきらめてはくれないかなあ。
あ、これは内緒のひとりごとです。

image1

美しく老いる

美しくなりたい。

それは世の女性の共通の悲願であると思うのですが、何をもってして美しいと感ずるかはまた別の問題です。
私の場合、50代なのに30代に見られちやうの♡っていう妖怪じみたことを求めているのではなくて…その年齢に合った美しさというものが必ず存在していて、そこに食らいついていきたいなと思うのです。(切実だな)

まあワタクシ、「平安の世なら美人だね」とか耳タコなわけでありまして。
あまりステレオタイプな美を追い求めていないというか、早々に美女レースからコースアウトしているというか…わかってくれる人だけわかってくれればいいのよっ! というちょっぴり自暴自棄な季節を越えてここまでたどり着いております。
そんな私ですので、女性の美しさはなんといっても肌のきめ細やかさと手触りだな~と少ないアピールポイントを基準にして、自尊心をなぐさめてきました。

ですが驚くべきなのはプラス笑顔の要素の大きさ。
職業柄、年配の女性たちと接する機会が多いのですが、その中で気づいたことがあります。
何歳になろうとしわが増えようと太っていようが痩せていようが、屈託のない笑顔を見せてくれる人は美しいし、周りから愛されるんですね。

あ、なんだか書いてて勇気が湧いてきたぞ!

image99