利他という利己

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「どうして看護師になったのですか?」と時々聞かれることがあります。

職業ってパーソナリティに影響を与えますから、当然といえば当然ですね。
でもそこに「人の役に立ちたくて」とか「子供のころ大病して・・・その時の看護師さんに憧れて」とかいう明確な美談を求められている気がしてかなり後ろめたい。

『看護師になりたいなんてこれっぽっちも思わなかった』

↑ ↑ ↑ コレ世界の中心で叫びたい本音。

当時私は目標を失っていて。でも自由になりたくて。
家を出て一人で生きていくためのツールとして看護師を選択したに過ぎません。
だけど20年も続けてきたからには何かしら理由があるのでしょう

どうせ給料がいいからでしょって? 答えはノーです。

看護師は金銭的に恵まれていると思われていますが、その労働は過酷です。
患者の身体的ケアを行いつつ、エビデンスに基づいたフィジカルアセスメントをして、なおかつその人の心に沿うという高等技術です。
肉体労働でもあり、頭脳労働でもあり、感情労働でもあるのです。
しかも、看護師なんだから当然でしょ? 何か粗相があったら訴えてやるんだから! というプレッシャー付き。正直、もうちょっと対価をいただいてもいいんじゃないかと思います(小声)

じゃあなんで看護師を続けているかって?

人を癒すことは自分を癒すこと。
人の苦しみを肯定することは自分の苦しみを肯定することに他ならない。

という言葉に尽きます。

なんという利己的な人間。
でもそれが私です。

 

写真:カンパニュラ・パシシフォリア

 

 

移り気でごめんあそばせ

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紫陽花のグリーンが鮮やかです。
英名はHydrangea(ハイドランジア)で、その名の通り水を大変好みます。
梅雨時の庭を美しく咲く大好きな花の一つ。

紫陽花は土のpHによって花の色が変わります。
そういう性質が『心変わり』をあらわしているとして、日本では古来より不実な恋の象徴にもなっています。花言葉も『移り気』『あなたは美しいが冷淡だ』ですものね。

でもね、一方で『辛抱強い愛情』って花言葉もあるんです。
鎖国時代に来日したドイツ人医師シーボルトは日本が大好きで、それはもう偏愛と言っても過言ではない程だったといいます。1828年にシーボルト事件が起こって国外追放・再渡航禁止となった時、紫陽花の花を祖国に持ち帰り、オタクサという名前をつけてるのですが、これって日本人妻の名前(楠本 滝=お滝さん)なんですって。
紫陽花を二度と会えない妻の名前で呼び、日本を偲んでいたんでしょうね。

まあそのお滝さん、1年後には再婚しちゃってるんですけど——! 切り替えはやっ!!
なんだかすいません・・・(日本女性として謝っておこう)
う~んまさに心変わりを象徴する花であります。

※オタクサについては諸説ありますから、そのうちの一つくらいに思ってくださいませ

 

そこに在るというだけで

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植物たちの先へ先へ伸びていこうとする姿に、いつも少し感動します。
そんな大げさな感動ではなく、毎日すこしだけ。

綺麗だなあ、なんでこんなに心が穏やかになるのかなあって。
怒りや嫉妬や卑屈や後悔や自己弁護やそういうぐじゃぐじゃした感情が落ち着いてくるのを感じる。
あるがままの自分が許されているようなっていうのはちょっと自分本位過ぎか・・・。

例えるなら、一方だけに偏った心をニュートラルに戻している、そんな感覚です。

圧倒的な癒しの力。
そこには言葉など必要ありません。

晴れの日も雨の日もベランダに出て緑に触れるのが習慣の私ですが。水やりしたり花がらを摘んだり、あるいは何もせず眺めているだけでも何時間だってそこにいられる。しみそばかすさえ気にしなければ。

見つめることって愛ですよ。
あ、なんかマジメに語っちゃったな。

 

写真
手前左:スカビオサ
手前右:セラスチウム
右奥:アナベル(アジサイ)
左奥:なんだっけ・・・ブルーセージの仲間っぽいけど

スカビオサの花が咲いたのでどうぞ。↓ ↓ ↓

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花あしらいの作法

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我が家のベランダに白花のモッコウバラが咲きました。

黄花のモッコウバラはよくみかけるけど、私は白い方が好きです。珍しく棘のないバラだし、病害虫もほとんどつかないので使いやすい。しかもとってもいい匂いがします。

ずいぶん昔、職場で毎日のように花を活けてくれる方がいて。その方は50代独身の女性。その活け方にセンスが感じられて素敵でね、いつも楽しみにしてました。当時何か習い事をしてみようと思っていて、「華道とかお稽古事されてらしたんですか?」とたずねてみたわけです。

するとその方は「お華を習ったことはないし、こういうことに作法とか関係ないわ。好きなように活ければいいのよ。私はお花が好きなだけだから。」と柔らかく笑いながらおっしゃいました。

花を活けるってことに勝手に敷居の高さを感じていた私だけども、それからは気軽に庭の花を飾るようになりました。もちろん華道は素晴らしい伝統的文化だし、確立された様式美があります。だけどまず何事も楽しむ気持ちがないと続かないし、本物にもならないんだなあってそんなことを思いました。

今考えてみると、その人が私の華道の先生だったんですね。