人を恋うるということ

またあの日がやってくる。
ある人が27歳という若さでこの世を去った日。

東京の空は淡い。
その空の下で生まれて育った人。

初めて対面したのが病院でしたし、残された時間が短いであろうことはわかっていました。
1時間、2時間、3時間。時を忘れて淡々と語り合う、家族のこと、友達のこと、お互いの恋愛のこと。その間、涙ひとつ見せない強い人。

「あなたは優しいから本当の幸せをつかまないとダメだよ
このままいくともしかしたら俺が惚れちゃってたかもしれない
でも距離と歳の差にかなり悩んだんだろうなあ(笑)
だけど今は誰とも付き合う気になれないんだ…なんでかはわかんないけど」

その日のメールを最後に途切れた連絡。

後にその人の幼なじみが教えてくれたのは、鎮痛のためのモルヒネと、その副作用による呼吸抑制で、もう携帯を持つことさえ辛かっただろうということ。
それでも私に何かを伝えようとしてくれた。
本当に…どっちが優しいんだか。

私、ずっとずっと自分を守ってくれる人を求めてばかりいた。
私たちは家族でも幼なじみでも恋人同士でもなかったけれど。
不思議と絆を感じたし、この人を守らなければと思った。
いなくなって初めて分かった。支えているつもりが支えられていたんですね。

人を恋うるということはその人の幸せを願えるということなのだと思う。

SNSでの出会いのすべてがまだいかがわしいものと認識されていた頃の話。
人と出逢うということは本当のあなたを目覚めさせるかもしれませんよ。

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月に向かって祈れ

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まだ日も暮れないうちから月が出ていました。
凛としたガウラの花が月の光に染まっているようで、妙に心に残る。

その真摯な姿勢ゆえに悩んでいる仲間の1人を思う。
薄っぺらな慰めの言葉を求めているはずもないし、いったい私に何ができるというのだろうか。
他人の苦労や苦悩を安易に理解できると思ってはいけない。
だけど解ろうとする気持ちだけは持ち続けたい。

その苦悩の渦中にあっては、真理がなかなか見えてこないでしょう。
苦しいと思う。もどかしいと思う。自己嫌悪に陥るかもしれない。
今はただ、淡々とその時その時の最善を尽くすしかない。

でもね? 本質的には孤独であっても、私を含め周りは、そう易々とあなたを孤独に明け渡すつもりはないんだよ。
何度も大声で呼んで気づかせるはず。
あなたは一人ではないと。

むずかしい宿題

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憧れの航空祭に行ってきました。
乗り物好き(特に飛行機)という少年のこころを持った私ですので、アドレナリンを短時間に大量放出してしまい、ここ数日燃え尽きておりました・・・とblogの間隔が空いた言い訳終了。

さて私の同級生、国防に従事していたり、移動式食堂の雑用係の傍らロビー活動していたり、暮らし研究家であったり、副住職や瓦ジスタやうどん屋さんや美しすぎる主婦だったりと本当に個性豊か。でもって、そういう仲間で国のこと考えませんか?とひっそり活動している。

その中のロビイストからワタクシに宿題が課されまして。真面目でも不真面目でもいいから航空祭に行って感じたことを文章にして投稿してね、と。
「あやつ! またしれーっと難しい宿題を出しおって!」
と言いつつやっぱり書くの嫌いじゃないし、お題があると燃えるっていうか。

以下が件の宿題の答え。

少しだけ安心しました
この国や私たちの暮らしを守っている彼らはこんなにも愛されている

だけど大人になるまで気づかなかった
この国のあらゆるメディアが傾きを許さないと言いながら傾いていることに
これからは自分の目で耳で心で感じなければ

涙目で見ると世界は歪む
今必要なのは拳を下ろし涙を拭いて冷静に真実を見つめることだと思う
ひとの心を動かすのにダラダラと長い能書きや罵り合う言葉はいらない

この国が好きか?
この国の精神を護りたいと思うか?
自分には護国に値する正しい言葉があるか?
この三つを常に問おうと思った

やだ私って真面目。
でも普段は周りをどうやって笑わせようかってことしか考えていないんだけど。(←おい)

最後に一つだけ。ワタクシ国防に従事する方々を尊敬してやみません。
ってこの今さら感半端ないな・・・でも信ずるがよろしい。

航海を終えた舟のような

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人の死を看取った後、看護師が何をするのかご存知ですか。

家族とのお別れが済んだ後、亡くなった方の全身を拭き清めて体腔に綿を詰め装束を着せて身なりを整える死後処置・・・いわゆるエンゼルケアを行います。

『おくりびと』という映画で観たようなうやうやしい所作ではないにしろ、イメージとしてはよく似ているかもしれません。ただ、違いを述べるとすれば、そこには記憶の断片が漂っているということ。身体を拭きながら、髪を梳きながら、生前の故人と交わした会話やエピソードのひとつひとつが思い出されます。

今までで一番記憶に残っているエンゼルケアは、着物をお召しになるのが好きだったAさんのもの。ご家族が用意してくださった装束がなんと浴衣ではなく着物でした。しかも簡易じゃなく本格的な帯まで。手渡された時のワタクシの衝撃伝わりますでしょうか?(滝汗)

「やるしかない」と同僚と目と目で会話して着付けに取り掛かったものの・・・案の定の悪戦苦闘。
別れの場面に不釣り合いな掛け声と流れる汗に、だんだんと可笑しさがこみあげてきて、「Aさ~ん最後のクエストが難しすぎだよ~」とつぶやいてしまったのでした。

この世の生を全うされた方は皆、一様に穏やかな顔に見えるというのが私の印象です。
大切な魂の容れものをお任せくださってありがとうございます。そしてお疲れ様でした。

写真:カンパニュラ・エメラルド、アジサイ、アスチルベ

包み込むように

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早朝、私の庭に珍しい訪問者がありました。
実は虫が大の苦手なのですが、今日は怖いと思わなかった。
その透き通る羽と佇まいがむしろ神々しかったです。

日本ではトンボは勇気・強さ・幸福の象徴だそうですよ。

「強さ」か・・・奥の深い言葉です。
どんなに強く見える人の中にも弱さは必ず存在していて。その弱さを認めることでさらに強くなることもある。強さしか見せない人の中にこそ弱さがあると思っています。だからと言って、「さあ! 弱音を吐け! 私に話してみなさい!」と言いたいわけではなくて、その見せられない弱さごと包み込める人間でありたいと常々考えています。

仕事柄、人の身体に触れる機会が多いのですが(肌に直接)触れるともうね、いろんなことがわかります。まず拒絶と受容。それから感情。逆にこちらからの感情なども伝わりやすいので気を付けなきゃ。
看護の看という字は手をかざして見る、という動作から作られたとよく聞きます。
触覚を駆使して癒すアプローチが有効なのは、性別や年齢に全く関係ない、非言語的な、それでもって雄弁な方法だからだと思う。

さあちょっと触らせなさい。(やだ変態ぽい)

美は育つ

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ずっと昔から美しいもの、美しい色彩に触れて生きていきたいと思っていた。
それが今叶ってココロオドルとはこういうことなのかと。

植物の生み出す造形にそこはかとない美を感じます。

花を植えて「ハイそこで完成」ではなく、絶えず茎や葉や蔓を伸ばし、絡み合い混じり合いあるいは凌駕し絶妙に調和していくその過程が素晴らしい。ひとつとして同じ景観が生まれないという無常。

 

 

 

・・・この美を前にもはや言葉は必要ない。
そして本日のブログ、決して手抜きではない。(説得力ナシ)

 

写真:ガウラ(3月に撮った地味~なあいつが可憐に咲きました!)

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ラ・カンパーニュ

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降っても晴れても美しい場所に住んでいます。

おかげで通勤時間は片道約1時間。
「なんでまたそんな所に?」とよく聞かれる。確かに心も身体も疲弊している仕事帰りは、「あああ自分は選択を誤っってしまったかもしれないっ・・・」と思うこともありますが、緑を眺めながらのドライブの心地よさはプライスレスなわけです。とりわけ朝の爽快感といったらもうね!

うっすら霧がかかったような山なみ。
迫ってくるような木々の勢い。
川の流れの透明感。

こればかりは完全に個人的な感覚ですので、いくら力説したところで「ふう~ん(?)そうなんだ・・・」と変わった人扱いされるばかりで、そう簡単に理解していただけるものではないのです。毎朝景色を眺めながらうっとりしているなんて、まあ確かに変態かもしれません。

ところでワタクシの故郷・香川の田舎っぷりもなかなかオツなものですよ。あ、知ってました? そーですか。てゆーか引っ越し先の物件名『ラ・カンパーニュ』ってまんま『田舎』って意味ですやん! まさに『田舎の中の田舎』にカンパ~ニュ!(乾杯)

・・・駄洒落の切れの悪さに動揺を隠しきれないまま、今日はさようならー。

 

愛だろ、愛

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このタイトル懐かしいと思われたら私と同年代かそれ以上のお方と拝察いたします。←いきなり失礼

きのうは病棟の歓送迎会でした。
若さあふれる新人ナースたちを目の前に美味しいご飯を頂きながら楽しい時間を過ごせました。

私、そういえばエルダーナース(プリセプターをフォローするナース)だったな~と思い出し、先輩たちからの指導はどう? と聞いてみたところ、「みなさん親切です」のほかに「愛がありますから大丈夫です」と返ってきた。
実はこれがすごく大事。新人ナースはどれほど若くても未熟でも同じ道を目指す同志です。ならばその人の成長を願って指導をすることが看護の発展につながるって意識を持たなければいけない。

看護教員として働いていたこともありますから、現場の指導担当ナースが天使みたいに優しいなんてことはありえないと知っています。中には自分の気分で指導を行う「完全に指導者向きではない人」もいます。
そんな人に当たっちゃった場合とてつもなくしんどいですが。すべては自分の学びのためなので乗り越えてほしいなあ・・・と応援しています。(心を病まない程度に)

どんなに厳しくてもそこに愛があるならそれは相手に伝わります。でもいくら愛をこめて指導してもそれを感じない人もいるわけで。そういう人は看護職に必要な感受性が足りない可能性があるかもしれない。どこへ行っても指導に対する不満が消えないなら、確実にその人に問題があるでしょうね。
そういう場合は迷うことなく転職をお勧めします。

あなたが看護を選んでも看護があなたを選ばないかもしれないよ。

写真:ジギタリス・カメロットラベンダー

娘としての考察

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先日の日曜日は母の日でしたね。

Facebookでいろんな方がお母様への投稿されてました。ストレートに感謝の言葉を伝えられる、人間的な素直さがまぶしかったです。妬みでもなんでもなくそんな関係性をうらやましいと思います。

かくいう私も母の日にお花を贈ったりしていたのですが、そこに気持ちが全く伴っていなかった。
母親のために花を贈る親孝行な私。離れていても親を思う優しい娘である私。そういう自分の体面を守っているだけだと気づいてからはそれももうやめました。

私には「母親なんだから」という前置詞を徹底的に取り払って母と対峙する必要がありました。この人は母親である前に一人の女性なのだと。母と子の心の臍の緒を引きちぎる作業は大変苦しい。お互いに心は血まみれの傷だらけです。一時は関係の断絶という危篤状態に陥りましたが、この歳になってようやく容体が安定して「敵ながらあっぱれ」的な「今日はこの辺にしといたろか」的な心境に落ち着いてきました。「私を産んで育ててくれた」という事実に対する感謝だけは残っていたからかな。

でもやっぱり解ってほしかった。
母親を大好きな娘でいたかった。
そんな風にまだ少し苦しい私はいくつになっても甘えん坊なのかもしれません。

ひらけ菩提

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朝の通勤途中、素敵な光景に出逢うことがあります。

小さなお堂の隣にカフェがあって、時々店主らしき男性がそのお堂に珈琲を供えに行っているのを見かけます。直接聞いたわけじゃないので、他に目的があるのかもしれないけど。見かけるたびに、車の中にいるのに珈琲の香りが漂ってきそうで、ちょっと幸せな気分になるんだなあ。ありがたやありがたや。

香りが大好きと言ってる割には、ミルクや砂糖が入っていないと飲めない私ですが。(←おい)でもきっとこの店の人なら『お子ちゃま』とかバカにせずにミルクと砂糖に合う珈琲の種類を教えてくれるような気がします。

それにこのお堂の佇まいも良いと思いませんか。周りを木々や草花で囲まれていて、今はジャーマンアイリスが咲いています。ちゃんと手入れされていて、地元の人たちから愛されているのが伝わってくる。

カフェの名前も『Baum』と言って、ドイツ語で「樹」という意味らしく、ますますお気に入りの予感。店の表に植えられてるスモークツリーも正直気になってた。
うむ! このお店入ってみなければなるまい。