プランツマニア

庭ブログなのに植物のこと書かずに最近はつぶやいてばかりでした。植物のこととなるとかなりマニアックな内容になってしまって、お——い? ついてきてる? って感じになるので・・・でもたまにはちゃんとしないとね。

今日はヘリクリサム・ペーパーカスケイドです。

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ガーデニングを少しでもかじったことのある方には、ヘリクリサムといえば、ペティオラレやホワイトシップのようなシルバーリーフがしっくりくるかもしれません。このヘリクリサムは花が美しい種類ですね。「はなかんざし」の名前で市場に出回っていますよ。紙細工のような可愛い花に触れると本当に紙のようなカサカサという音がします。

この鉢はコデマリの白と寄せ植えていますが、白い花ばかりだと単調で面白くないので、何を合わせようかな~と考えた結果、赤葉のセダムも足してみました。花のガクの部分がほんのり赤いので、このセダムとよく合ってる気がして。しかも濃赤のさし色が全体を引き締めてます。セダムの名前がわからなかったので、調べてみようかな。

ペーパーカスケイドはヘリクリサムの一種らしく葉が少しシルバーがかっていて、この一種類だけでも美しいですよね。多少乾燥気味でも大丈夫だし、宿根草としては花期もずいぶん長いのでコンテナガーデンには重宝すると思います。

 

孤独のススメ

私には死ぬまでに一度、実際にこの目で見ておきたい絵がある。

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東山魁夷『映象』148×212cm 東京国立近代美術館蔵 画集『白夜の国』より

この絵を画集の中で見つけたとき、この世界に入っていってしまいたい、そしてタロットカードの隠者のように、ランプを片手に一人で暮らしたいと思った。それはいったいなんという完全な孤独だろう・・・と恍惚としてしまう。

幼少のころから一人で音のしない時間を過ごすことに慣れているので、圧倒的に孤独に対する免疫がついています。だからちょっと私の感覚は特殊かもしれない。だけど人間には一人きりで静寂に身を浸す時間が絶対に必要だと思う。

孤独を経験することによって、自分がどういう人間であるかを突き詰め、思考し内省し自律の心を育てる。物理的に独りであることを楽しむ余裕がないと、精神的な強さが育たない。

家に帰ると同時についテレビをつけてしまう、音楽をかけてしまうという人は、一度何の音もない時間を過ごしてみてほしい。もしもその時間が苦痛でしかないならば、ちょっと精神的に弱いところがあると思っておいたほうがいい。

逆に子育て真っ最中の人は、お願いだから一人にしてって思うことがあるはず。てことはやっぱり孤独な時間を過ごすということは、人間の自然な欲求なんじゃないのかなと思うのです。

 

母よりも母

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二月に撮ったこの水仙も、そろそろ咲くころでしょうか。水仙は看護を学んだ母校のシンボル。母校は大規模な統廃合で、私たちの卒業と同時に閉校となり、今は校舎が残るのみとなりましたが、この花をみると、看護学生時代の恩師を思い出します。

ユーモアがあって穏やかで、笑顔の大変可愛らしい先生。(この表現失礼?)卒業して20年近く経つ今でも、折に触れ気にかけ、思いやりのある言葉をかけてくださいます。以前、縁あって先生が勤務されていた看護学校に就職することになり、その学校の理事との面接の際。看護師である以外、何の実績もない私のことを「人柄は私が保証します」と言い切ってくれたことは忘れられません。

実は私、学生時代にはそんな先生に噛みついてばかり。ある日、病院実習での不満や苦情をぶつけてしまった。一方的に、それも泣きながら。先生は私の暴言を一通り聞いた後、落ち着いて一言。

「感情失禁ですね」と。

失禁! 感情の失禁! この言葉に撃沈。今思い出しても恥ずかしい。それ以来、むやみに負の感情を垂れ流さないように、心の括約筋を鍛えています(何の努力だ)少しは私、大人になったでしょうか。

確か先生にはお子さんがなかったけども、私にとってこの人こそ母性の象徴。先生に育てられた私たちはまっすぐに生きています。私もいつか先生のような人になりたい。

光の色

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結婚します!(ウソです)

ちょっと言ってみたかっただけ。こういう類の遊びは後で切なくなるから、やめたほうがいいよ! ウミコさん・・・と今更なアドバイスを自分自身に送ってみる。そもそもこれ、右手だし(痛恨のミス)

白という色が好きです。すべての光を反射することで白い色を認識するのだとか。そうか白は光の色そのものだから清らかなイメージがあるのかな。そういえば病院のユニフォームって白だろうが水色だろうがピンクだろうが白衣って言いますね。清廉性を求められているんだなあって、背筋が伸びる思いです。

人間の本質を性善説や性悪説で語られることがありますが、そんなものはナンセンスです。人は清濁あわせのむ存在で、そこにこそ生きる本質があるんじゃないでしょうか。生まれつき善ならば生まれてくる意味がない。生まれつき悪ならば誕生を喜ばれるはずがない。

おめでとう! よくきたね! 人が生まれる瞬間があんなに素晴らしいのは、この世には苦しいこともたくさんあるけれど、それと同じくらいの喜びがあるから。善き部分をほんの少しずつ増やしていく、その修行のために人は生まれては死んでいくのだと思っています。

え? 白衣の天使? そんなものは架空の生物です。(きっぱり)

 

 

名前を教えて

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管理人の部屋の画像は、ニゲラという花です。和名はクロタネソウ。そして英名は・・・

Love-in-a-mist 霧の中の愛。

かゆ——い! あ、間違えた。あま——い! ダメだ。自分のキャラに合わないから、非常に恥ずかしい。どうよ、この国民性の違いが見事に表れた名前の付け方。そりゃアイラブユーとか普通に言えちゃうわけだわ。

夏目漱石が英語教師だったころ、I love youを「我君ヲ愛ス」と訳した生徒に、日本人はそんなこと口にしない「月が綺麗ですね」だけで伝わると言ったっていう逸話にも深く納得。でも名付けのセンスに関しては西洋のほうが・・・。

この花は名前が短いですが、恐ろしく長い名前の植物とかもあって。世界史のテスト前、ローマ帝国歴代皇帝の長い名前を、嗚咽をもらしながら暗記した思い出を彷彿とさせます。私の中で暴君ネロがその名前の短さゆえに非常に好感度高かったあのころ。(遠い目)

植物の名前には、品種名というものもあります。それがやけに的を射ていて面白い。水仙のカップ、いわゆるラッパの部分が、淡くピンクがかった美しい品種を育てていたことがあります。その名も「ロマンス」。ちゃんとその姿形にあった名前が付けられているんだなあ。植物を購入するのなら、品種名もきちんと表示されているお店をお勧めします。そういうお店のほうが植物を愛する気持ちが伝わってくるから。

 

 

ヤマトナデシコ

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『大和撫子』

この言葉を聞いたとき、私の頭の中に思い浮かぶ花は 撫子ではなくスミレです。

うつむきがちで可憐なフォルムと深い禁色。「奥ゆかしい」「控えめ」という言葉がこれほどしっくりくる花はありません。しかも性質は強健で、こぼれ種でアスファルトの裂け目でも花を咲かせたりします。スミレのように美しく、強く、奥ゆかしい。そんな女性になりたいものです。

私の亡くなった父は、昭和ヒトケタ生まれの日本男児。私は父が高齢になってから生まれた女の子なので、それはそれはかわいがってもらいました。私がまだ4つの歳の冬、父親に電飾がチカチカ光るクリスマスツリーが欲しい、とねだったことがあります。もちろん買ってはくれましたが、父は「自分からあれが欲しいこれが欲しいと言うものではないよ」と私を諭しました。私はその時幼い子供でしたが、猛烈に自分を恥じたことをしっかりと覚えています。何を時代錯誤な、と笑いますか?

自己を主張することは大切。しかし人から与えられることばかりを考える人間になっていないか。

それは時々、今でも思い返す教訓です。

 

花の記憶

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コレ、何が植わっているかわかりますか?

宿根草・ガウラの白花です。花が咲いていない株はものすごーく地味だけど、その花はとても清楚で可憐です。え? それなら見てみたいって? それはしかるべき季節がきて、本物の花が咲くまでのお楽しみ。

ビオラやパンジーなどの色とりどりの一年草で埋め尽くされた、THE・春っていうお庭を時々見かけます。もちろん鮮やかな色彩を持ち、長期間咲き誇る花は目を楽しませてくれますね。コンテナガーデニングの強い味方です。一年草だから気軽に楽しめるし。

だけどもだけど。一度でいい、宿根草の魅力に触れてみてほしい。

宿根草は花期も短いし、普段は葉っぱだけだったり地味だったりします。(葉が美しいものも沢山ありますよ)おまけに冬には枯れたのかと思うほど、葉が落ちたり蔓だけになったりして、「茶色っぽい何か」になることもあります。だけど芽が出てきた♪ 茎が伸びた♪ つぼみが膨らんだ♪ 花が咲いた♪ と言ってはお酒が美味しい←おい。

花の命が短いってことは、記憶も鮮明に残ります。ああ、この花が咲いていた時あんなことがあったなあ、と。そんなのいい思い出ばかりじゃないじゃないか。確かにそうかもしれません。でもね、かつて涙した苦い思い出もすべて、毎年変わらずに咲く花が、年月をかけてなぐさめてくれるような・・・そんな気がするんです。

春なのに

先日、散歩中に蝋梅が咲いているのをみつけました。

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とてもいい香りがしますよ。嗅いだことあります? もしなければぜひクンクンしてみてね。

梅、沈丁花、金木犀・・・香りのする樹木は素敵ですね。私もいつか庭に植えたい。特に金木犀が大好きで、秋が深まる頃、枝いっぱいに小さなオレンジ色の星が集まったような花を咲かせてくれます。その匂いを嗅ぐと今年も故郷の祭りの季節がやってきたなあ、と感じます。誰ですか? トイレの匂いとか言ってるのは。

でも金木犀の木ってなんでいつも丸く剪定されてるのかな。大きく成長するとまるでその姿はアフロヘア。なのに庭に一本あるとSoulを感じるわけでもなく、ど——んと和の雰囲気を醸し出しててウミコビックリ。「アフロヘアの香りをうっとりと嗅ぐ私」というシチュエーションも微妙といえば微妙です。

なんていうんでしょうかね? 一見和風な植物を使って全く新しい植栽の方法を考えるのも面白いかも。うーん。限られたスペースではあまりにも危険な冒険かな。てゆーか春なのにまさかの秋・金木犀話フィニッシュでさーせん!

置かれた場所で

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やっちまったなあ!

最近購入した多肉植物、アエオニウム属・黒法師だけが、こんな有様でございます。

黒法師は冬が生育期なので、屋外に出していても平気だと思っていたのですが、そうでした! ここは兵庫県の山奥なのでした。ここ数日、気温がぐっと下がって雪までちらついていたので、その寒さには耐えられなかったみたい。「おいおい、寒いっつっても限度があるだろーよ!」いう黒法師さんからの非難の声が聞こえてきそうです。

数年前、渡辺和子さんの本が話題になっていましたね。

『置かれた場所で咲きなさい』

人を花にたとえた比喩的表現なのでしょうが、個人的には少し受動的な印象を受けます。いきいきと咲くためにはやはり、自分自身がどんな性質を持っているのかをよく知らないと難しいですよね。自分が咲く場所は自分で見つける。そういう能動性も必要ではないでしょうか。自ら環境を変える、ということは時としてそこから逃げ出すことになるけれど、それもまた是なのかもしれません。いや、自らを咲かせるために旅立つというのなら、それは逃げではありません。

私はいきいきと咲くあなたが見たい。